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任天堂(株)【7974】の掲示板 2024/04/20〜2024/04/30

西欧大陸の多民族国家には、多種多様な文化や宗教や人種の違う人々が共存していて、そこで衝突を避けて平和に生活するには、お互いの違いを瞬時に認識して、衝突しないように行動を上手にコントロールして生活する必要がありますが、それには長い学習期間が必要です。

その互いの違いを認識するために、派手な色とデザインの民族衣装や軍服や宗教的な衣装が考案され、面倒でありコストもかかるのに、それらの衣装を着用し、相手に認識を求め、適切な行動を互いに取るようにして、無駄で無益な衝突を避けてきている長い歴史があります。これは古代のシルクロードよりも以前からあった習慣です。

西欧のゲームがグラに過剰にこだわるのは、そもそも、西欧の開発者が幼児期から受けている社会教育の中に、互いの違いを鮮明に認識して、それに基づいて正しい行動をする、すなわち戦いや衝突を避けることや、戦闘する場合も正しく敵味方の判別をして行動するということの重要性が、心の底まで深く強く叩き込まれているからです。

まあこれを無理に日本に当てはめると、歌舞伎役者が着物をきていたり、相撲取りが髷と浴衣を着ていたりと、特徴的な衣装を日常的に着ることで、役割を他に示して行動の特殊性によるショックを和らげています。警察官や消防士などの制服も同じことです。

しかし基本的に日本は、荒海に囲まれた孤立した島国であり、しかも多くの藩は山や川や関所で互いに分断され、しかも宗教も仏教と神道に統一されていて、さらに水田を長身とした農耕文化に統一されているなど、均一性が高く、文化的な違いに起因する衝突が起きにくい国だったので、グラに頼る違いの認識の必要性は薄い国だったということです。

その文化的な伝統があるからこそ、ゲーム開発者も子供の頃から、互いの違いを認識するための教育や洗脳はあまり受けていないので、脳が自由に発想できるということになっているのです。