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日経平均株価【998407】の掲示板 2023/01/30

自由の創設としての大東亜戦争

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アジア諸国の解放・独立をめざした日本
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そもそも先の戦争は、ファシズムの日本と民主主義の米英との戦いだったのだろうか。

1941年12月、開戦直後の閣議で、この戦争の名を「大東亜戦争」とすることを決めた。
「東亜新秩序の建設を目的とする」という理由からだった。
その新秩序の中身は、大戦中の1943年11月の「大東亜宣言」に盛り込まれている。

「アメリカやイギリスは、自国の繁栄のためには、他国や他民族を押さえつけ、特にアジア諸国に対しては飽くなき侵略と搾取を行い、アジアの人々を隷属化する野望をむき出しにし、ついにはアジア諸国の安定を根底から覆そうとしている」

「そこでアジア各国は、互いに提携して大東亜戦争を戦い抜き、アジア諸国をアメリカやイギリスの束縛から解放し、その自存自衛をまっとうする」(現代語訳)

この宣言は、日本軍が米英軍を駆逐して独立したフィリピンやビルマ(ミャンマー)などの首脳が東京で一堂に会した史上初のアジア・サミット「大東亜会議」で採択された。
宣言は、大戦の原因が米英による「飽くなき侵略と搾取」が大戦の原因だと指摘し、人種差別の撤廃など5原則を掲げた。
そして、大東亜戦争の目的は、欧米による植民地支配からのアジア各国の解放にあることを明確にうたった。

日経平均株価【998407】 自由の創設としての大東亜戦争  *************** アジア諸国の解放・独立をめざした日本 ***************  そもそも先の戦争は、ファシズムの日本と民主主義の米英との戦いだったのだろうか。  1941年12月、開戦直後の閣議で、この戦争の名を「大東亜戦争」とすることを決めた。 「東亜新秩序の建設を目的とする」という理由からだった。 その新秩序の中身は、大戦中の1943年11月の「大東亜宣言」に盛り込まれている。  「アメリカやイギリスは、自国の繁栄のためには、他国や他民族を押さえつけ、特にアジア諸国に対しては飽くなき侵略と搾取を行い、アジアの人々を隷属化する野望をむき出しにし、ついにはアジア諸国の安定を根底から覆そうとしている」  「そこでアジア各国は、互いに提携して大東亜戦争を戦い抜き、アジア諸国をアメリカやイギリスの束縛から解放し、その自存自衛をまっとうする」(現代語訳)  この宣言は、日本軍が米英軍を駆逐して独立したフィリピンやビルマ(ミャンマー)などの首脳が東京で一堂に会した史上初のアジア・サミット「大東亜会議」で採択された。 宣言は、大戦の原因が米英による「飽くなき侵略と搾取」が大戦の原因だと指摘し、人種差別の撤廃など5原則を掲げた。 そして、大東亜戦争の目的は、欧米による植民地支配からのアジア各国の解放にあることを明確にうたった。

  • >>1102

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    欧米によるアジアでの「飽くなき搾取」
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    大東亜宣言にある、欧米によるアジアでの「飽くなき侵略と搾取」「アジアの人々の隷属化」は、世界の多くの人々からはもう忘れ去られているが、筆舌に尽くしがたいものがあった。

    イギリスは、インドの綿織物を本国に輸入して利益を得ていたが、産業革命でイギリスの綿製品生産が盛んになると、今度はイギリス製品をインドに輸出し始めた。
    それは、インド製には関税をかけ、イギリス製には免税するという強制的なもの。
    インド人の職人の手を切断するという凄惨なことまでやって、インドの紡績業を壊滅に追いやった。

    イギリスは、清国から紅茶と陶磁器を輸入していたが、清国側はイギリスから買う物品がほとんどなかったという。
    これではイギリスが常に貿易赤字になってしまうので、インドにケシ栽培を強制し、麻薬の一種のアヘンを清国に売りつけることにした。
    清国中に麻薬中毒者が広がる一方、アヘン取り締まりも始まり、イギリスと利害が衝突。
    1840年のアヘン戦争へと発展した。

    オランダは、インドネシアでコーヒーや砂糖など欧州向けの作物の栽培を強制したため、インドネシア人が食べるための水田や畑が減少。
    ジャワ島では人口が3分の1になる町も出るほどだった。
    先住民を支配しやいよう、教育を行わず、文もうのまま放置。
    そのため識字率は数%にとどまった。
    300以上の各種族の言語をそのまま使わせ、インドネシアとしての統一意識を持てないようにした。

    独立王国のハワイ・カメハメハ王朝を武力で滅ぼしたアメリカは同じ年の1898年、スペインとの戦争(米西戦争)を始めた。
    その際、フィリピン人の独立革命家たちにフィリピン独立をいったん約束し、米軍への協力を取り付けた。
    ところが、米軍と革命軍がスペイン軍を打ち倒すと、約束を覆し、フィリピンを併合してしまった。
    その後の革命軍による抵抗戦争(米比戦争)は1913年まで続き、フィリピンの民間人60万人以上が虐殺されたという。
    大東亜戦争は、まさにこうした「アジア諸国をアメリカやイギリスの束縛から解放」するための戦いだった。