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三菱重工業(株)【7011】の掲示板 2023/02/07〜2023/02/08

日本は第二次世界大戦で零(ゼロ)戦を開発して、3年以上に渡り大国アメリカと戦った。

1940年日本海軍から三菱の堀越二郎氏に出されたのが、新型戦闘機の開発要請。

すなわち、格闘戦(戦闘機同士の戦闘)に強い強力な武装、日本から離陸して中国大陸の奥地まで爆撃機の護衛任務につき、しかも帰還できる長大な航続距離、旋回性能などの常識はずれな運動性能などを要求する、当時の日本では実現不可能とも思われた戦闘機の開発要請です。

当時、日本には強力な航空機用のエンジンがなく、欧米の航空機に比べエンジンの出力は技術的に極めて劣っており、欧米の戦闘機と互角に戦うだけの出力も速度も機体できないことから、そもそも格闘戦で敵戦闘機を一撃必殺にする、重武装を積むというだけでも無理筋の話でした。

戦闘機の骨組みに至るまで穴を開け機体の軽量化をg単位で追求した結果、戦闘機本体の耐久性も非常に脆弱なものとなったが、水平方向の運動性能(旋回)は極めて優秀なものでした。

しかしどれほど運動能力に優れていても、ゼロ戦は急降下が出来ない脆弱さを持っていることが判明してしまえば、ゼロ戦に遭遇すれば急降下で逃げてしまえばいいだけであり、次第にゼロ戦は全く戦果を上げることができなくなりました。

結局モノづくりに秀でていた日本人でも、強力な航空エンジンを作ることが出来なかった。現代の三菱重工が開発を断念した国産航空機MRJもアメリカのプラット・アンド・ホイットニー社のエンジンが搭載されていた。

航空機の開発で日本が遅れているのは、第二次世界大戦で負けたからだと思っていたが、”世界最強(三日天下)と言われた零戦”もエンジン性能に問題があった。日本のモノづくりの低迷はとても残念なことだ。