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世界の建築業界の巨人、日本の鉄道を変えるか

アラップがホーム増設や補強の構造設計などを手がけ、生まれ変わったロンドンのセントパンクラス駅(記者撮影) アラップがホーム増設や補強の構造設計などを手がけ、生まれ変わったロンドンのセントパンクラス駅(記者撮影)

 アラップ(Arup)という会社をご存知だろうか。1946年にロンドンで創業し、世界40カ国に1万3000人のスタッフを擁する国際的なエンジニアリング会社だ。

 建築物の構造設計ではパイオニア的な存在として知られている。たとえば、シドニーのオペラハウスでは、手描きのスケッチにすぎなかったデンマーク人建築家のデザインを複雑な構造解析を行うことで建築物として実現した。スペイン・バルセロナで建設中の巨大教会「サグラダファミリア」、3つの高層ビルの上に船が乗っているシンガポールのランドマーク「マリーナベイサンズ」もアラップが解析技術やデジタルシミュレーションを活用した構造設計業務を行っている。世界の建築業界にとってなくてはならない存在なのだ。

 日本での実績も多く、新宿のモード学園コクーンタワー、関西国際空港旅客ターミナルビルなど数多くの案件に参画。一時期話題になった新国立競技場の旧案でも故ザハ・ハディド氏をサポートしていた。

■英国の高速新線に参画

 そのアラップが日本で鉄道分野に取り組むという。同社の鉄道ビジネスとはどのようなものなのか。アラップ東京事務所の代表を務める小栗新氏は、例としてイギリスのハイスピード1(HS1)プロジェクトを挙げる。

 HS1とは、ロンドンと英仏海峡トンネルを結ぶ高速新線。ロンドン―パリ間を走る国際高速列車「ユーロスター」や日立製作所製の「クラス395」が走っており、日本人にもなじみ深い路線だ。

 英仏海峡トンネルとロンドンをどのようなルートで結ぶか。1980年代の終わりから1990年代の初めにかけて白熱した議論が続けられてきた。当初優勢だったのは、イギリス国鉄が提案したロンドンのテムズ川の南側にあるウォータールー駅に直線で結ぶというルート。そこへ新たなルートを提唱したのがアラップだった。

 小栗代表によれば、「われわれの先輩方が、頼まれてもいないのにロンドンの北東側を通って現在のセントパンクラス駅に乗り入れる現在の案を提案した」。当時のロンドンの北東エリアは廃れており、鉄道を通すことで都市再生の起爆剤にする考えだったという。

 国鉄案とアラップ案が国会で議論され、結果としてアラップ案が採択された。それを契機にHS1のインフラデザインやプランニングなどの総合的な技術設計もアラップに任されることになったのだ。

 ユーロスターの発着駅であり、ロンドンの陸の玄関口となったセントパンクラス駅を訪れたことがある人なら、古城のような赤レンガ造りの駅外観と内部の未来的なプラットホームが織り成す調和に誰もが息を呑むに違いない。

 旧セントパンクラス駅を国際駅として生まれ変わらせるために、既存建物の調査、保護、補強から必要なプラットホームの増設まで、必要条件を洗い出し、構造設計のみならず、建築設計、インテリアデザイン、輸送計画など多岐にわたる業務を担った。

■鉄道事業に7000人のエンジニア

 同駅の隣には「ハリー・ポッター」シリーズでもおなじみのキングスクロス駅があるが、こちらも歴史を感じさせる西コンコースに架けられた半円アーチの巨大屋根が想像を超える美しさを生み出している。

 屋根は単なる美の追求ではなく、「ターミナルの西側はさびれていたが、屋根を付けたことで人や車の流れが変わった」(小栗代表)。同社は構造設計に加え、設備・環境設計、歩行者モデリングなど総合的なコンサルティング業務を手がけている。

 イギリス以外の世界各国でも駅舎、軌道、トンネルといったインフラ、そして車両、信号、電力など鉄道に関する多岐に渡る分野でエンジニアリング業務やコンサル業務を行っている。2018年に開業した香港と中国本土を結ぶ「広深港高速鉄道」から減圧されたチューブ内を高速列車が走行する「ハイパーループ」計画まで、多岐にわたるプロジェクトに参加している。鉄道事業では7000人のエンジニアが活動しているという。

 同社が日本に進出したのは1989年。東京事務所を開設して、日本の建築業界での実績を積み上げていったが、小栗代表は、外国人社員と話をしているうちに、ふと気がついた。鉄道メーカーや鉄道事業者が海外進出する際、安全基準や商習慣が日本とはまったく違い、日本での知見が通用しない。この外国人社員は日本の鉄道関連メーカーに勤務した経験があり、日本の企業が海外展開で苦戦する状況を肌身で感じていたのだ。

 海外ビジネスに伴う煩雑な手続きをアラップが引き受ければ、メーカーのリスクが減ると同時に利益率が改善する。「海外展開を希望する企業を支援する手伝いができるはず」。小栗代表は確信し、2018年9月に鉄道チームを立ち上げた。

 それだけではない。日本企業が海外に進出するのと同様に、外国企業も日本市場への参入をもくろんでいる。日本とEUの経済連携協定(EPA)が今年2月に成立し、EU側からみた日本の鉄道市場の参入障壁が撤廃された。日本の鉄道会社の間で海外企業から調達しようという機運が高まれば、鉄道会社が入札要綱や仕様書を作成する際にアラップにサポートを依頼することもありえる。

 さらに、アラップがHS1など海外で行っているような新規路線計画のコンサルティングを日本で行うという可能性もあるだろう。小栗社長は、「もしチャンスがあれば、遠慮なくやらせていただきたい」と前向きの姿勢だ。

■鉄道業界の「黒船」になるか

 何もかも自前でやろうとする結果、海外展開で苦戦する例は鉄道以外の多くの業界で見られる。入札要綱や仕様書の作成といった煩雑な業務をアラップのような外国企業にアウトソーシングするという選択肢はありえるだろう。

 また、鉄道関連メーカーと比べれば、鉄道事業者が本業の鉄道で海外展開する例はJR東日本などごくわずかだ。大半の鉄道事業者が「海外での鉄道事業は時期尚早」として躊躇しているが、アラップのような外国企業と日常的に付き合うことで、日本ではなじみのない海外の流儀をいくつも学ぶことができる。海外進出とまではいかなくても、国内の鉄道ビジネスの改善につながるアイデアが得られる可能性はある。

 静かにスタートしたアラップの日本の鉄道業界への進出は、将来に振り返ってみると、「黒船」のようなインパクトを持っているかもしれない。

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