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しらん
**「5月24日」日本最初のゴルフ場
最近はゴルフブームで、北海道から沖縄まで、全国至る所にゴルフ場がありますが、日本最初のゴルフ場、神戸の「六甲ゴルフ場」が明治36年の今日「5月24日」に開場しています。
明治期の新興都市「神戸」は、何かにつけてハイカラ好みでした。それというのも、横浜と並んで新しい開港場になった「神戸」は、居留地として外国人が沢山住み始めたからです。
そして彼ら外国人はゴルフ場を作ろうと考えて、六甲山中の八反ほどの土地に目を付け、地主との間に年間16円で賃貸契約を結んで開場しました。その開場式が、明治36年の今日「5月24日」に行われ、兵庫県知事の「服部一三」が始球式を行っています。
しかし、神戸市内から六甲山頂までは極めて交通が不便で、ゴルファーたちは徒歩で登山し、そこで一息入れてから、ゴルフを楽しむという大変な重労働でした。そこで、険しい山道を少しでも楽に登れるようにというので、駕籠が使われたこともあるそうです。
西洋式の「籐椅子」に、カンパスの屋根を付けて、それを「駕籠かき」がかついで、ゴルファーを運ぶのです。
日本の「ゴルフ事始め」の時代は、このように、なかなか容易なものではなく、つい、吹き出すような漫画チックなものだったのです。。 -
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〇「5月17日」風月抄「南京虫の裁判」
「裁判」というものは、人間社会の制度として造られたものなので、当然の事ながら人間に対して行われるものなのですが、アメリカでは何と「南京虫」に対する裁判が行われた事があります。
アメリカの大河「ミシシッピー河」の発見は、16世紀ですが、本格的にウィスコンシンからミシシッピー河を探検したのは、イエズス会のマルケットと毛皮商の「ジョリス」で、彼らがアンカーンソーまでたどり着いたのが1673年の今日「5月17日」という記録が残っています。
ところで、この「ミシシッピー州」で世にも珍しい裁判が行われています。その原告となったのが、同州の著名な弁護士の{S・プレンティス」と「ゴールソン判事」で、被告は何と、かゆいかゆいあの「南京虫」だったのです。
この二人が、「レイモンド」という町に一泊した時に、夜になると、体じゅうがかゆくてたまりません。南京虫の襲撃です。眠るにも眠られず、腹を立てた二人は、ピストルを取り出して南京虫退治を始めました。いかに西部開拓時代とはいえ、南京虫相手の拳銃乱射とは前代未聞の出来事でしたが、おかげで彼のベットは穴だらけになってしまいました。
こうして何匹かの南京虫は、銃弾の露と消えましたが、夜が白々と明ける頃に、まだ一匹がうろうろしているのを発見した彼は、これを見事生け捕りにすることに成功しました。
結局、二人がそれまでに殺した南京虫については、カユさと引き換えの「正当防衛」が成立しましたが、逆に生け捕られたこの一匹の南京虫は、かゆみを加えた被告として法廷に連行せねばならないのです。
そこで彼らは、州の定めるところによって、この南京虫の「裁判」を開きました。
「ゴールソン」は検事なので、2時間にわたって被告の「南京虫」を糾弾し、弁護士の「ブレンティス」は、商売柄、その南京虫の弁護を買って出ました。そして宿屋の主人など4名の「陪審員」が任命され、「弁護人」が声涙共に下る弁護を4時間も続けてこの可哀そうな南京虫の無罪を主張しました。
その結果、陪審員達は被告を無罪として釈放したのですが、その釈放された「南京虫」が、その後、どのようにして生き延びたかは、明らかになっていません。。(^^♪) -
6891
どなた様もお早うさん~
このサイトも 皆さん居なくなり紫蘭さん 一人が頑張っていてくれます
寂しいですね・・ 皆さんどうしたのでしょうかね
身体でも悪くしたのか? パソコンの調子が悪いのか? 人がいないのは
寂しいものです・・
歴史家 紫蘭さん昔の出来事を教えてくれます 嬉しい事で勉強になります
一人で頑張っていてくれ申し訳無いですね~
何人でも仲間入ってくれればにぎゃかになっていいですが・・ -
6890
「5月11日」金と銀の価値
先年、金さんと銀さんの100歳のご姉妹の話題が、テレビをにぎわせましたが、古来、それほど金と銀は貴重なものとして取り扱われ、通貨の標準にもなってきました。
その銀銭が、日本では和銅元年(*708年)の今日5月11日に初めて鋳造されています。
ところで、金と銀とを比較してみると、江戸時代では意外と銀の価格が高く、標準通貨の単位となっていました。このように銀の価格が割高だ、というのは、つまり金の価格が安い、と言う事なので「日本は金を割安に手に入れる事が出来る国」という定評が出来上がり、ポルトガルとの貿易が始まると、大量のメキシコの銀が日本に流入し、逆に日本からは金が流出しました。マルコポーロが、黄金の国として、日本を目指したのもうなづけますね。
しかし、金と銀との埋蔵量や、金属としての性質の違いから、1816年に、経済学者の「リカルド」が、理想的な貨幣制度として、金本位制を提唱し、1920年代までにヨーロッパ諸国もこれに従ったのです。
一方、日本では銀が中心でしたが、国際貨幣としては銀が不適格であることに気づき、その2年後から、金本位制に移行しています。
それまで12世紀にわたって続いた日本の銀本位制も、こうして崩壊したのです。
しらん -
6889
今日も爽やかに晴れ渡っています。皆さん、お元気ですか!?
昔は、運動会は秋に決まっていましたが、最近はこの時期が多いですね。小学校や、街の自治会の運動会やら、いろいろありました。玉入れやかけっこ、綱引きなど懐かしいですねー。
**今日の話題「5月9日」空飛ぶ雌牛
アメリカでは、よく竜巻が起こりますが、1962年の今日「5月9日」に、アメリカ、アイオワ州を竜巻が襲い、それに巻き込まれた愛称「ファウン」というメス牛が空中高く舞い上がりましたが、奇跡的に一キロほど離れたほかの牧場に無事着陸しました。
その着陸地点にはちょうどホルスタイン種の雄牛が居て、二人(!?)は仲良く結ばれて、ファウンはやがて見事な仔牛を生みました。
それから2年後に、同地方をまた竜巻が襲い、ファウンはちょうど草を食んでいるところでしたが、またもや竜巻に乗って、数十メートルの高さで飛翔し、人々があれよあれよと見守る中で、見事に4本の脚を揃えて無事、近くの牧場に着陸したのです。
ここの牧場主は、それ以後、暴風警報が出るたびに、牛を牛舎に閉じ込めて、飛行させないように努めたそうです。
その「空飛ぶ牝牛・ファウン」も、1974年の冬に亡くなっています。 -
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風月抄「コカ・コーラの誕生」5月8日
アメリカのジョージア州出身の「J・ペンパートン」は南北戦争の時、南軍に参加して大佐にまで昇進しましたが、南軍が敗れたため、もともと経営していた薬局の経営に戻りました。
そして、薬剤師の資格を持っていた彼は、薬局経営の傍ら、新薬の開発にも意欲を燃やし、染髪剤を作ったり、肝機能促進のための新薬を試作したりしていました。
そんな試作品の中の一つに、コカインを含むコカの葉のエキスを原料にした不思議な新薬がありました。
これは頭痛や二日酔いに利くという効能がありましたが、この新薬を発明した「ペンパートン」は、1886年の今日「5月8日」に、どういうわけか、これを友人が経営する街の軽飲食店に持ち込み、「水と氷で割ったらいい味の新しい飲み物が出来るはずだ」と、店主に話かけました。
そこで、店主が最初、水で割ってみたら、一応、いい味がしたので、今度はソーダ水で割ってみると、水割りとは比べ物にならないほどに新鮮な風味が漂ったのです。 まさしく、これが「コカ・コーラ」の始まりだったのです。
ちなみに、この「コカコーラ」は、現在、世界80ヶ国で各国の国語の名前で販売され、日本では英語の「Coca,Cola」中国語圏内では「可口可楽」という名前になっています。
しらん -
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「5月5日」端午の節句
今は、あまり見かけなくなりましたが「5月5日」の端午の節句には、あちこちに「鯉のぼり」や「幟旗」がひらめいたものです。
この「のぼり」を立てる風習は江戸時代から始まり、紙で作った幟に、家の定紋をつけたものや鍾馗さんの絵を描いて、家の外に建てる「紙幟」が広く行われていましたが、現在では、布製やビニール製が多いようです。
その「鯉のぼり」は「吹き流し」とともに竹竿に飾られ、テッペンの矢車のカラカラという音とともに五月の薫風にはらんで、大空に泳ぐ姿は、いかにも元気な男の子の姿にふさわしいものです。
笈(おい)も太刀も五月(さつき)に飾れ紙幟 芭蕉
はたはたと幟の陰の打つ如し 中村汀女
もともと「鯉」は「出世魚」なので、子供の成長と立身出世を願ってその「初節句」に建てるのを「初幟」と言います。
江戸住みや 二階の窓の初幟 一茶
最近は、アパート暮らしが多いので、二階だけでなく、あちこちの窓に小型の鯉のぼりが立っているのをよく見かけます。
5月5日の端午の節句によく食べるのが三角形の「粽・ちまき」ですが、これはうるちの粉と、もち米を練って、笹の葉に包み、糸や藁で縛って蒸したもので、関東地方では「柏餅」を食べるように、関西ではこの「粽・ちまき」を食べるのが風習になっています。
これは、古代中国の憂国の詩人「屈原」が汨羅(べきら)の河に身を投じて死んだのを弔って、5月5日に「粽を汨らの河に投げ込む」という中国の習俗が日本に伝わって、旦木の節句と結びついたものです。。 -
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〇風月抄「聴診器の起源」5月5日
今日「5月5日」は、五節句の一つの男の子の節句「端午の節句」ですね。今は「子供の日」として祝日になっています。
この日には、粽(ちまき)を食べる慣習がありますが、これは、古代中国の憂国の詩人「屈原」が、「汨羅・べきらの河」に身を投じたとき、その体を魚の餌にならないようにと、人々がその代わりに、もち米で作った餅を草の葉で包んだ「粽・ちまき」を川に投げ込んだという故事から、この端午の節句と結びついて、5月5日に「粽」を食べるという風習が出来ています。
「せいくらべ」
♪柱のキズは おととしの
5月5日の せいくらべ
ちまき食べ食べ 兄さんが
はかってくれた 背いのあと
そういえば子供のころ、傷はつけなくても、柱に背もたれして、よく竹製の物差しで背の高さを計ったものです。
また、二つの紙筒に糸紐をつけて電話ごっこをしてよく遊んでいましたが、世の中には、こんな無邪気な子供の遊びがヒントになって思わぬ大発明が生まれた例が多いですが、「聴診器」もその一つです。
お医者さんにとって、一日も手放せないのが、聴診器ですが、もともと、聴診器を発明したのは、フランスの病理学者「R・T・H・ラネンエック」です。
彼は1916年に、子供たちが、このように長い棒を耳に当てて遊んでいるところを見て思いつき、翌日、さっそく細い紙筒を作って、心臓病患者の胸に当てて、耳をその一端に当ててみると、なんと心臓の鼓動がはっきりと聞こえるではありませんか。
そこで、「ラネンエック」はさらに研究を進め、直径3センチの杉の棒に直径5ミリの穴を縦に通して、よりはっきりと内診が出来る聴診器を完成させたのです。
この完成によって、内科の診察技術は画期的な進歩を遂げましたが、皮肉なことに、「ラネンエック」自身が、自分が発明した聴診器によって自分の胸の異常を発見して、1826年に肺疾患のために死亡しています。。 -
6884
お早うさん~
今日もいい天気ですね この連休いい日に恵まれ 我が府中市でも
関東三大祭と言われる くらやみ祭りが 賑やかにおこなわれています
1900年の歴史を持つと言われる 祭りです・・
我も今日が本番なので お出かけしたいと思っております~
そう言えば昨日から巨人✖阪神戦が始まりました
山人さん・・ はんめいさん・・ お二人はどうしたのでしょうか?
顔が見えませんね 二人の野球談話が聴きたいのに いないのは少し
寂しいですね 身体でも悪くしていなければいいが~
元気な出番を待っています・・・ -
6883
〇風月抄「4月23日」ヒットラーの自動車の末路
第二次世界大戦で1945年(*昭和20年)の今日「4月23日」にドイツの首都「ベルリン」が陥落して、旧ドイツは敗戦の憂き目にあいました。そして、権勢を振るったドイツ総統の「ヒットラー」も、ベルリンの地下の司令部で、あえなくピストル自殺を遂げましたが、彼には二台の高級自家用車のベンツがありました。
この特製のベンツの総重量は何と4,5トンもあるという頑丈なもので、その外装は、8ミリの鉄板で覆われ、彼が自分でピストルを撃ち込んでみましたが、鉄板に少し傷がついたに過ぎませんでした。
このベンツのうち、一台はヒットラーからフィンランドの「マンネルハイム元帥」に贈られ、元帥はそのベンツを中立国のスェーデンに保管を委託しましたが、自動車税の不払いを理由に競売にかけられてしまいました。これを落札して手に入れたのはシカゴの実業家の「ヤヌス」という人で、彼はそのベンツをニューヨークをはじめ、アメリカ全土で興行用に展示して、合計10万ドルの見物料を稼いでいます。
もう一台のヒットラーのベンツは、1945年にアメリカ軍が無傷のまま没収してアメリカに運びました。この2台揃ったベンツを、アリゾナの不動産業者「T・ベネット」が買収に成功し、彼の自動車のコレクションに加えましたが、数年後に競売に出したところ、一台で15万ドルというベラボウな値段がつき、クラシック・カーとしては史上最高の値がついています。
結局のところ、このベンツの一台はペンシルバニアの「E・クラーク」が、もう一台は{D・テドウィル」という人物の手に入り、クラークは、その後、このベンツをセントルイスの「R・パス」に売り、パスはさらに「A・ファスコナ」という人にに売り飛ばしています。
要するに、流転の旅を続けながら、ドイツの独裁者「ヒットラー」の二台のベンツは、敵国であるアメリカに今なお健在である、という皮肉な結果になっているのです。。 -
6882
お早うございます・・
今日は日曜日 少し天気が下り坂のようですね
午後あたりから雨になるでしょうかね・・
相変らず 歴史学者紫蘭さん・・ 何でも知っている感じで勉強しながら
感心しています まだ頭の衰えも見えず健康そう 何よりです・・
山人さん・・ はんめいさん・・ どうしたのでしようかね?・・
このところ見えませんね 身体でも悪く無ければいいが~
パソコンの故障かな❓ 伝統の一戦巨人 阪神戦 やっているのに
両球団の応援者がいないのは 寂しいですね 早く二人の出番を求めます・・・ -
6881
〇今日の出来事「4月19日」阿片の話
1868年(*慶応4年)の今日「4月19日に、日本での阿片の喫煙が禁止されました。
麻薬の阿片(アヘン)は、ケシの実に傷をつけ、そこから分泌する乳液を乾かしたもので、紀元前後からギリシャ人の間で、麻酔剤として使用されていたようです。
それが西洋人の東洋への来航にともなって、まず中国にもたらされ、初めは薬用の鎮痛剤として珍重されましたが、特に台湾ではマラリアに特効があるというのでこれを煙草に混ぜて喫う習慣が始まり、台湾から中国の福建省を経て中国全土に広がりました。
この阿片は連用すると中毒症状となり、肉体的にも精神的にも廃人同様になってしまいます。そこで中国では1720年代にすでに阿片禁止令が出されていますが、阿片を吸う習慣は全く止みませんでした。
逆に、禁令が厳しくなるほど、かえって隠れて吸う人が増え、一度この麻薬のとりこになると、それがもたらしてくれる快感が忘れられなくなるのです。この悪習が一番ひどい時には、中国の全人口の10%が阿片を吸うようになっていたそうです。金持ちは贅沢な喫煙室を作り、貧民は阿片屈(あへんくつ)に足を運び、皇帝までもが、阿片を吸っていたので、禁令も何もあったものではありません。
そこで清の時代の大臣、「林則徐」がイギリス商人が持っていた阿片を焼き捨てて、密輸業者を処刑したので、これに怒ったイギリスとの間に「いわゆる「阿片戦争」が起こりました。
その時、日本は中国の前例を目の当たりに見ていたので、事前に阿片の害を警戒することが出来まし た。
明治維新前後にも、密輸が行われていたに違いありませんが、明治 新政府誕生と共に、この阿片禁止令が出来て阿片の害を防ぐことが出来たのです。。
(阿片屈) しらん -
6880
**「4月17日」肉食禁止令
今は、食事も肉食が多いですが、昔は食事のおかずには魚料理が主でした。日本が四面海に囲まれて魚類資源に恵まれていたからでしょう。
ところで、676年(*天武5年)の今日、「4月17日」に鳥獣の肉を食べることが禁止されています。その理由は、仏教の教えに背くからでした。 そこで、この日から明治初年の解禁までおよそ12世紀にわたって日本人は肉食離れをしていたことになります。
然し、それはあくまでも建前であって、実際にはイノシシやウサギなど、時にはタヌキまで食用に供されていました。それは、日本人がそれほど法律や仏典に忠実ではなく、結構肉食を楽しんでいたからでした。
しらん -
6879
〇風月抄「4月15日」竹とんぼからヘリコプター
子供のころ、家の近くのお寺の裏の竹やぶから、竹を切ってきて肥後守を使って、タコや水鉄砲、竹とんぼなどを作って遊んだものです。
ところで、こんな子供のおもちゃが大きな発明のヒントになった例はいくつもありますが、ヘリコプターもその一つでしょう。
そのヘリの原型がこの「竹とんぼ」で、誰でも子供のころに経験があるように、両手の手のひらで、竹の軸を回すと上部についた二枚の羽根が浮力を呼んで、空に舞い上がります。それに着目して動力を積み込んだ竹とんぼは出来ないものかと最初に考えたのが、「レオナルド・ダ・ヴィンチ(*1452年の今日4月15日生まれ)でした。
彼は動力源としてゼンマイを使い、4枚羽根のスクリュー型のプロペラを取り付けて実験しています。ただし、その実験が成功したかどうかは念ながら分かっていません。
「竹とんぼ」はその後、様々な改良が加えられ、やがて内燃機関の使用が盛んになるにつれて、人間を乗せる竹とんぼ、つまりヘリコプターというアイデァが生まれました。
その「ヘリコプター」が最初に飛んだのが、1907年のことで、二軸ローターを使ったポール・コルニエの可愛らしいヘリがこの年の11月に初めて独力でふわりと空を飛んだのです。。
紫蘭 -
6878
紫蘭さん・・
お早うございます 今日もいい天気になりそうですね~
いつも私の知らない昔の事柄 教えてくれて有難うさんです
さすが歴史学者 何でも知っていて勉強になります
まだ心身共に元気で施設に入らなくても好いでしょうに 施設の中には
中でも楽しみもあるでしょうね~
仲間と楽しい日々を いつもお過ごし下さい・・・ -
6877
〇風月抄 「日本最初の珈琲店」4月13日
♪「一杯のコヒーから」
一杯の コヒーから
夢のわきでることもある
街のテラスの夕暮れに
二人の胸の灯が
ちらりほらりと
つきました・・
日本で、コーヒー店の元祖と言われる「可否茶館」が明治22年の今日「4月13日」に、東京・上野西黒門町に開店しています。
その主人は、長崎唐通詞(*通訳)の名家「鄭家」の流れをくむ「鄭永愛」で、彼は欧米に留学中に見聞したニューヨークやロンドンで見聞したような、上品な憩いの場を造ろうとしたのです。
この店には、入るとすぐに「玉突き場」があり、二階が喫茶店になっていて、そこでは洋酒も日本酒も注文すればすぐに出るようになっていました。その店内には、トランプやクリケット、碁、将棋も出来るし、内外の雑誌も取り揃えてあるという、至れり尽くせりのサービスぶりでした。
しかし、一銭五厘で、蕎麦が二杯食べられた時代に、一杯のコーヒーが、同じ一銭五厘では割高過ぎて、この店はすぐに閉店してしまいました。
当時の明治21年4月13日付けの新聞には、その「可否茶館」の広告が載っています。
〇「可否茶館開業報条」
・・遠かば鉄道馬車に乗って来給へ。近くば歩いてちょっと寄って一杯を喫したまへ。そのカヒーの美味なること、思わずアゴを外さんこと疑いなし。館内には、更衣室があり、文房具から内外の雑誌、新聞も取りそろえ,その廉価なることただよりも安し!?。。
来る十四、十五、十六の三日間、開業、定価カヒー、一椀、一銭半、同じく牛乳入りは金二銭也」・・ -
6876
今日もいい天気、老人ホームの窓から、通勤の人たちのバスや自転車が見えます。向いのコンビニの屋根の小鳥も朝早くからせわしく飛び立っていきました。。みんな一生懸命に生きて居るんですね。
朝10時、朝ぶろに入ってさっぱりしました。子供のころ正月の朝に、いちばん風呂で、川のそばの桶風呂に入った頃のことを思い出しました、風呂のすぐそばに生えていた柘榴の実をちぎって食べたりしながら・・
もうあの頃から何年になるだろう、今は、こうして老人ホームのお世話になろうとは・・
少年老い易く学成り難し。階前の梧葉、既に秋声・・
人生は夢幻の如く、怱々に通り過ぎてゆく・・
しらん -
6875
どなた様もお早うさん・・
今日は昨夜よりの雨が 早朝より激しく降っていますね~
ウオーキングお休み 一日雨のようです プールにボランテヤ活動は
お休み 家でのんびりですね~
このところ 皆さんはどうしたのでしょうかね? お休みが多いですね
出ってこないのは 身体の調子が 悪いのか? パソコンの調子がわるいのか?
この掲示板が 寂しいです・・
プロ野球も始まりました
はんめいさん・・の阪神解説 山人さん・・の巨人の解説
待ちどうしいですね~ -
6874
どなた様もお早うさん・・
しばらくご無沙汰しました~ 田舎に行っていました
春休みの間に 子供孫を連れての里帰りです 久し振りの田舎の空気
気分転換には いいですね~ 田舎も変わりなく懐かしく子供の頃を
思いだしました 我が家は山の中 立科町 帰りに軽井沢にて ホテルでも
一泊 孫たちの思い出の春休みの記念の付き合いで帰って来ました・・
又東京暮らしで 頑張ります・・・
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往馬山人 2019年1月28日 15:14
気温マイナス1度とまた氷点下を記録したが風も無くて頬がピリピリする位でそれほど寒くはない月曜日の朝。
今日の午前10時でこのtextreamも終わるとのことです。どういう終わり方をするのでしょうか? どうぞこのtext reamのナンバー「20848」(2018年12月12日掲載)を見て下さい。そしてグーグルグループの「70歳代のバソコン」をお気に入りに登録してください。お願いします。
窮状状態の大相撲も玉鷲が二敗で優勝しました。顔つきから想像していたのとは違ってやっぱりモンゴル勢でした。34歳まで優勝しなかったのですから大変な遅咲きということです。
優勝とはいいながら横綱がいなくなった場所ですからちょっと値打ちがないような気がします。とはいえ優勝は優勝です。おめでとうと言っておきましょう。
それに比べて窮状昇(急上昇)のテニスの女王大坂なおみは文句無しの世界一です。まだ21歳ですからまだまだ伸びしろがあるのは間違いないでしょう。片言の日本語も楽しいものです。
ただ試合中と試合後のヘアースタイルやお化粧があまりにも違っていたのには驚きました。別人かと思いました。やはり若い娘なんです。こういう格好がしたかったんでしょう。ただ全く日本人には見えません。
彼女はアメリカと日本の二重国籍だそうです。アメリカ人とも言えます。ただテニスでは日本人として登録しているようです。嬉しいことですが複雑です。日本がお祭騒ぎをするのはちょっと気が引けませんか?
アメリカでアメリカ人が優勝したと大騒ぎしているニュースは聞きません。アメリカ人が優勝するなんて当たり前だと考えているのでしょうか。それともアメリカでも彼女が日本人だと思っているのでしょうか。
とかなんとか言ってもめでたいことはめでたいのです。大いに喜びましょう。
我が家の庭に黄色の水仙が咲き始めました。(写真) 白い水仙は以前アップしましたが黄色は始めてです。散歩途中に見る水仙はほとんどが白いもので黄色いものは少ないのです。黄色い水仙は花をつける時期が遅いのでしょうか。球根ですので手入れしなくても毎年咲いてくれます。
往馬山人。